【イベント】映像上映会、松平耕一「にゃんにゃん党五部作」を振り返る

【イベント】映像上映会、松平耕一「にゃんにゃん党五部作」を振り返る

◯日時
五月七日(日)一八時開場、一八時半開始

◯場所
かけこみ亭 東京都国立市富士見台1-17-12 S&Sビル地下(最寄駅 南武線 谷保駅)

◯料金 入場無料。飲み物をワンドリンクと、できたらカンパをお願いします

◯内容
・今ここに病で死に瀕している病人がいる。大腸ガンで、自力では、便も尿も出せず、栄養も取れず、死につつあるものだ。彼の名は松平耕一。特に他と変わったところのない、関東での「三・一一被ばく被害者」だ。三・一一により引き起こされた「福島原発事故」は、その全貌が杳として知れない。私たちは、未曾有の事態の迎えつつ、状況がなにも分からないまま、あるものは病死し、あるものは避難しようとしている。三・一一後、病気が増えたというものもいるし、「#東北で良かった」と、東北への愛や東北に生きることの素晴らしさをネットで書き込む者たちもいる。ここで、三・一一の原発事故に応じ、松平の行なった反原発運動を振り返る。映画「にゃんにゃん党五部作」からは、血と涙と怒りと悲しみと笑いが奔出する。私たちはどこに帰結しようとしているのか。どうやって闘い直さねばならないのか。映像を視聴しつつ、反原発運動の原点を探りたい。※にゃんにゃん党映画の詳細な解説をなしたリーフレット『にゃんにゃん党、その直接行動の映画』を頒布予定。

・二部構成です。第一部では、「ネオリベにゃんきちと天皇の福島原発自己責任 http://youtu.be/LgAZqPkrFg4 」「食べずに応援、大東亜野菜戦争 http://m.youtube.com/watch?v=UC053O-0-fQ 」「ネオリベにゃんきちと新大久保フリーハンドシェイクウォーク http://youtu.be/AVUP7G8p6Vg 」 「革命的核爆発同盟―「核爆派」 http://t.co/LA6PyprQ4C 」「革命料理のフルコース」の、1時間10分の映画を連続視聴します。そのあと、自由にトークします

〇共催 福島原発事故による健康被害者の会

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「三・一一被曝被害者は語ることができるか」を海外で英訳・ご紹介いただきました

アメリカのニューヨークにSloths Against Nuclear State(原子力国家に抗するナマケモノの会)というグループがあります。彼らは、三・一一以降、日本の原発事故についての情報、人々の暮らしや、思い、活動を、政府やメインストリームのメディアの情報に頼ることなく、草の根の視点で伝えて続けています。その「SANS」の皆さんが、当会の紹介と当会ブログ記事「三・一一被曝被害者は語ることができるか」( https://radiationdamage311.wordpress.com/2016/08/12/ )の、英文への翻訳「 https://jfissures.wordpress.com/2017/02/09/can-3-11-radiation-victims-speak/ 」をしてくださいました。このブログに重複再掲載をさせていただきます。主な内容は松平耕一さんの文章と、松本麻里さんのインタビューです。事故から六年目、さまざまな被害が顕在化している一方で、その被害について、公然と語ることが難しくなっています。日本政府が海外にまでくりひろげている「安全キャンペーン」とは、異なる実情について、詳しく解説を添えて下さっています。英語を使われる友人、知人の方などに、広くお知らせくださいませ。(福島原発事故による健康被害者の会)

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訳者まえがき

『3.11被曝被害者は語ることができるか』が日本のメーリングリストを経由して私たちのもとへ届いたのはちょうど、日本で社会運動の研究者として知られている道場親信さんが亡くなったという知らせを受けた数日後のことでした。道場氏は、この文章に関わっている松本麻里さんのパートナーであり、松本さんは長いあいだ3.11の放射能の影響などについて発信しており、私たちも彼女の仕事に深く影響を受けています。私たちがこの文章の英訳が重要であると感じたのは、現在の原発災害における問題の中でもとくに言葉にするのが難しい側面が明確に打ち出されていると考えたからです。これは、3.11原発災害による影響を軽減するかのように広く拡散している「安全神話」を批判するためにはとても重要であると考えます。

日本国家と原子力産業による「安全神話」の拡散は、かねてから、国際放射線防護委員会や世界保険機関などの国際的な規制機関の支持により、国内外で成功をとげています。過去のあらゆる核兵器実験、核戦争、そして1986年のチェルノブイリ原子力発電事故などにおいて同様の言説が好結果をおさめていることが、今回の「安全神話」の実践につながっていると思われます。アメリカ、ニューメキシコ州にある国立原子力博物館の一角にある福島第一原子力発電事故に関する展示エリアでは、3.11災害が次の様に解釈されています。

「地震と津波による犠牲者は約18500人に及んだものの、放射能による直接的な被害による犠牲はなかった。放射線被ばくの影響による福島周辺の住民の癌死の確率は、極めて低い、または皆無に近いと考えられている。事故から2年後、2013年の世界保健機関(WHO)の発表によると、避難した原発周辺の住民の被ばく量は非常に低いため、今後被ばくによる健康被害が検出可能なレベルで増加することは予想されない。」

被ばくを避けるための活動は、反原発運動の重要な焦点であるべきだろうと思う一方、反被ばくというたたかいは、現在、とくに低収入、労働者層の人々にとって、直面するのがもっとも困難なもののひとつではないかと考えます。目に見えない、無味無臭な放射性物質は細胞を傷つけることで人々の身体を攻撃し、数知れないさまざまな症状として現れますが、発症するまでの時間もさまざまです。松本さん、そして進行期がんと闘っている松平さんの他に、3.11の影響を受けた生活者として公に健康被害について、みずからの声を記録している人々は多く存在しません。そのような状況も受け、読者の方々にはまず、3.11後の日本においての政府による政策、そして国に後押しされ、一般に広がっている言説などについてあらかじめ知ってもらうのがいいかもしれません。

『食べて応援しよう!』キャンペーン
これは、企業を中心とした食のビジネスが東北地方の食材を積極的に購入し流通させるという、日本政府の呼びかけにより進められているキャンペーンです。原発災害の悪影響に対する責任を、消費者に押し付けるという戦略です。例として、原発事故の被害を受けた農家の人々の生活を応援する唯一の支援策は、わたしたちがその地域の農家の作物を消費するということだ、と呼びかけられています。

避難支援の欠如
国が指定した避難指示区域外で生活していた何万人もの人々が、十分な経済的支援もないまま逃避を強いられ、今もなおその生活が続いています。ある2人の子供を持つ母親は、息子が度重なる大量の鼻血に苦しむのを目の当たりにし、避難を決断しましたといいます。彼女の息子は、泣きながら「このまま福島に住んでいても大丈夫?」と尋ねたそうです。しかし2017年3月をもって日本政府は、このように「自主避難者」と呼ばれる避難者への住宅支援を打ち切ります。これは最終的に避難者に対し2つの選択を強いることになります。ひとつは避難先での新しい生活の経済的負担に耐えること(避難者の多くはすでに貧困に直面し、生活保護に頼らざるを得ない状況にいます)。もしくは、今もなお放射能によって汚染され続ける故郷である福島に戻ることを強いられます。このような状況から予想できるように、東京を含む東日本の大半の人々は、政府からの支援の欠如により避難することさえできていません。

復興政策と復興ビジネス
これは、例えば国をあげた規模で行われるイベントの実施(2020年に開催される東京オリンピックなど)を通して、国民の意識を3.11以後の暗いムードから明るくポジティブな活動へ向けるという試みです。国際的にも、このような事例がみられます。2012年3月から、日本政府観光局の主催により、毎年恒例の行事として「ジャパンウィーク」というイベントがニューヨークで開催されるようになりました。2016年のジャパンウィークは、東北の「復興」、そして災害への追悼をテーマとした催しでした。さらに、グローバルな核資本主義者達は地域の区分変更や、再開発などを進め、既に貧困に苦しむ人びとを攻撃し、窮地に追い込み、置き去りにしています。

ここで重要なのは、リベラル派の非営利団体や市民団体までもが、政府が推進する復興政策に関与し、政府と東京電力によって規定された放射能基準値や情報の普及に対して批判的な立場をとらずに是認している、ということです。この背景から読み取れるように、松本さんと松平さんの声明にある、放射能に関する話題が抑制されている現実、そして被ばくによる影響/死傷/損害が確かなものなのかどうかを決断することの困難さは、特に重要になっていくことでしょう。これまでの原発災害による健康被害に関する証言をめぐっては、メルトダウンと直接的な関係性が証明できる症状や病気のみに焦点が置かれる傾向にあります。しかし、「本当の」病状とそうでないものを、一体誰が判断するのでしょうか?そして、私たちはそもそも放射能汚染の影響の有無を議論する余地などあるのでしょうか?そのように、3.11被曝被害者の会の皆さんは私達に語りかけます。

翻訳するにあたり、このような機会を与えてくださった著者である松平耕一さん、松本麻理さん、そして雑誌『情況』の皆さんに感謝を込めて。

英訳:『反核ナマケモノの会』と仲間たち
バーケット・朋樹 ロジャース・ジョシュア 空音央 久保朝子 箱田里多

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Can 3.11 Radiation Victims Speak?

Translators’ Notes:

The article below began circulating in Japanese just a few days after we found out that Chikanobu Michiba (道場親信), a well known sociologist who wrote on Japanese social movements, had passed away. He was the partner of Mari Matsumoto, who has been a long-time inspiration for us through her work on the radiological effects of 3.11. We felt it was important to translate the article into English because it articulates a dimension of the disaster that has been difficult to put into words, but which we believe is critical to intervening in the “myth of safety” (安全神話)‐a widespread discourse that attempts to mitigate the consequences of the 3.11 nuclear disaster.

The Japanese state and nuclear industry’s implementation of the “myth of safety,” which has been supported by international regulatory agencies such as the International Commission on Radiological Protection (ICRP) and World Health Organization (WHO), has been very successful both domestically and internationally. In part, this may be due to the previous successes of similar discourses in the wake of extensive nuclear weapons testing, [1] nuclear war, [2] and other nuclear disasters such as the 1986 Chernobyl disaster. [3] In the National Museum of Nuclear Science & History in New Mexico, a short panel on the Fukushima Daiichi nuclear disaster reads:

“There were no deaths caused by the immediate exposure to radiation, while approximately 18,500 people died due to the earthquake and tsunami. Future cancer deaths from accumulated radiation exposures in the population living near Fukushima are predicted to be extremely low to none. In 2013 (two years after the incident), the World Health Organization (WHO) indicated that the residents of the area, who were evacuated, were exposed to so little radiation that radiation induced health impacts are likely to be below detectable levels. Plant workers and emergency responders received radiation doses which increased their risk of developing cancer in the future.”

While we believe that avoiding radiation exposure should be a focus for anti-nuclear struggles, we recognize that it is, at the moment, one of the most difficult aspects to fight, especially for low-income and working class people. Invisible, odorless, and tasteless radioactive isotopes attack the human body at the cellular level, manifesting as innumerable illnesses across time. Few people, including Matsumoto and Matsudaira, who is fighting late-stage cancer, have publicly spoken out about health damage (健康被害) as everyday people living the consequences of the 3.11 disaster. It may be useful for readers to familiarize themselves with a number of state policies and state-supported public discourses that emerged in post-3.11 Japanese society:

―Support by Eating program

A state-led campaign which enlists food businesses to purchase produce from the Tohoku area (the northeastern region of Japan, including Fukushima). This is a tactic to shift responsibility for the consequences of nuclear disaster onto consumer relations: i.e. the only way to support farmers and others making their livelihoods in affected regions is to consume their products.

―Lack of financial assistance for evacuation

Tens of thousands of people who lived outside the state-mandated evacuation zone fled without much financial assistance, and continue to live away from home to this day. A mother of two shared that she decided to move from Fukushima because she witnessed her son suffering heavy nosebleeds on multiple occasions. He asked in tears if he would be okay living in Fukushima. [4] In March 2017, the government of Japan will be ending subsidies to support housing costs for those they call “voluntary evacuees” (自主避難者). These evacuees will ultimately be given two options: bear the financial burden of living in their new homes (many of these evacuees already face poverty and have been forced to live on welfare programs), or be forced to return to their hometowns in Fukushima contaminated by radiation still today. Because of the lack of governmental assistance, most of the population in Eastern Japan, including Tokyo, never moved out of the area.

―Recovery programs & businesses

This includes implementation of festive events on a national scale (i.e. the 2020 Summer Olympics in Tokyo) to actively turn population’s attention toward positive activities and away from the gloomy state of affairs that has dominated the country since March of 2011. This was also the case internationally. In 2012, the Japan National Tourism Organization began hosting an annual “Japan Week” in New York City on the anniversary of 3.11. Their 2016 exhibit was themed around the revival of Tohoku to “commemorate” the disaster. Global nuclear capitalists have begun attacking the population through rezoning and development, which also corners poor people into further marginalized positions.

It is also important to note that even liberal NGOs and civic groups have participated in government-led recovery programs and uncritically endorsed standards and information on radiation disseminated by the government and TEPCO.

In this context, Matsumoto and Matsudaira’s statements about the policing of discussions about radiation, and the difficulty of deciding whether they have experienced tangible effects/losses/damages from radiation exposure, are especially critical. Accounts that emphasize the health consequences of the disaster tend to focus on identifiable syndromes or illnesses that can be directly linked to the triple meltdown. Who should decide whether these are “real” injuries or not? Should that even be up for debate? Members of the 3.11 Health Victims Group are speaking out to us.

We’d like to thank the authors Matsudaira Koichi, Matsumoto Mari, and the magazine Jyokyo for letting us translate the article.

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Can 3.11 Radiation Victims Speak?
by Matsudaira Koichi

English translation by Sloths Against Nuclear State &
Friends:Tomoki Birkett, Joshua Rogers, Neo Sora, Lita Hakoda

What, and who, are the “radiation [5] victims of 3.11?” I want to raise this question. The Fukushima nuclear accident [6] caused untold damage to Fukushima prefecture’s local residents and the workers at Fukushima nuclear power plant, yet we still do not understand the true extent of the disaster. The term “disaster victims” [7] of the Fukushima nuclear accident refers mainly to residents of the government’s mandatory evacuation zone in Fukushima prefecture. And when speaking of the “health victims” of the accident, the focus today is on laborers at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant, and on young patients with thyroid cancer in Fukushima prefecture. However, I would like to broaden the denotation of “3.11 radiation victims” here. All beings residing in the prefectures neighboring Fukushima, or eastern Japan including even the Kanto area, [8] could potentially be “3.11 radiation victims.” And many people living in eastern Japan who have fallen ill could, in fact, be potential “health victims.” However, in order to argue that specific patients residing in eastern Japan could be “radiation victims” or “health victims,” epidemiological and scientific examination becomes necessary. If this is carelessly argued, one runs the chance of being denounced and criticized as having “radiation brain.” [9]

Radioactive contamination was observed in many areas of eastern Japan after the nuclear accident. According to the ICRP’s 2007 recommendation, [10] the annual radiation exposure limit was set at one millisievert (mSv) or less. However, there is a terrifying number of people who were exposed to radiation beyond this limit in eastern Japan.

If we rethink what damage from radiation exposure should really mean, we can say that people who received even a tiny amount of radioactive contamination from the nuclear accident, excepting natural radiation, should all be defined as “3.11 radiation victims.” In this sense, I can say that I, Matsudaira Koichi, born and raised a Tokyo-ite these 38 years, am surely a 3.11 radiation victim.

And now the name Matsudaira has been added to the list of people with an illness that is unremarkable these days. And, there is a possibility that I, Matsudaira, am also a health victim of the Fukushima nuclear accident. In other words I ―or we, the afflicted residing in eastern Japan― can identify ourselves as “3.11 radiation victims.” But at the same time, as for whether we can say we are “health victims of the Fukushima nuclear accident,” brute courage is sometimes necessary. In this cultural criticism column [11] I hope to use the imaginative potential of language to shift from the position of “3.11 radiation victims” to the position of “health victims from the nuclear accident,” and to thereby reexamine the historical role that health victims should take. In order to do so, I would like to cite the following report.

Interview with Matsumoto Mari
“Thinking About Radiation Damage Five Years After the Accident from a Feminist Perspective”

(This piece was formed by editing the comments that Matsumoto Mari delivered at the May 5, 2016 assembly of Health Victims of the Fukushima Nuclear Accident (below, Health Victims Group), Kanto Area Radiation Damage Vol. 2: Expanding Damage, Connections, the Hope of Evacuation. They were edited into the format of an interview with Matsumoto Mari.) [12]

The Health Victims Group was a gathering started by people who met each other through the anti-nuclear movement after 3.11, or during demonstrations in front of the Diet. [13] Originally, we were protesting to reveal the state and TEPCO’s responsibility for the nuclear accident, and to push for support for Fukushima children who had suffered health damages and for struggling evacuees. However, five years have passed since the accident, and it was in the fifth year after the 1986 Chernobyl accident when various types of damage to people’s health began to increase explosively. In this context, we began discussing whether we noticed various health damages appearing around us. We then realized anew that we had many friends suffering from illnesses like colon cancer, heart problems, thyroid abnormalities, the aggravation of skin diseases and allergies, exacerbated inflammation of the esophagus, and the aggravation of multiple-chemical sensitivity syndrome. We are also aware of exactly how hard it is to talk about health damage from Fukushima, or about wanting to evacuate. To change these conditions, those of us suffering health damages in Kanto, young and old, have to raise our voices. We hope to create a climate where people can openly say that anyone can suffer health damages from radiation exposure, and that the state and TEPCO must fulfill their responsibilities for this.

Today, we would like to speak with Matsumoto Mari from the Health Victims Group. Matsumoto-san was originally publishing feminist research and articles in the field of contemporary philosophy. Since the nuclear accident, she has been writing articles precisely on this problem of radiation exposure. What is necessary for us, as people who suffer from health damage and those who are concerned?

Matsumoto:

In the past I was wrote on feminism and various issues related to women. After 3.11, at first I wrote a few pieces about the nuclear disaster. However, after that, I became sick. I had argued in my writings that [protection from] radiation exposure should be our main objective, but the response from those around me was so cold and indifferent―when I reflect on why I became sick, it was because of this indifference about radiation that was normalized around me. [14]

There were a lot of simplistic criticisms that portrayed mothers trying to protect their children from radiation exposure as “maternalistic.” I felt it was horrible that even the left and feminists were heavily criticizing them. Looking back, given that health damages are manifesting today, these criticisms actually benefited the discourse of the “reassurance wing” [15] which basically ended up benefiting from insulting mothers as being “overprotective”.

This is a somewhat personal story, but in 1985 I was in Kiev for a short while, just one year before Chernobyl. Afterwards I kept in touch with some of the people who were studying Japanese there, but we slowly fell out of touch. There were issues with the postal system, but I remember being shocked, even though I was still young, when one time a young person said that she had developed cataracts. I had no idea that young people could get them. Of course now I know better. But I think I remembered it so clearly because I felt like that society, a society that had experienced a nuclear accident, was slowly beginning to crumble.

Because of this, the first thing I thought about after the nuclear meltdown on 3.11 was radiation exposure. But in the metropolis in particular―and let me say first that I don’t want to criticize this outright, and that I am certainly against restarting [the nuclear power plants]―most people at that point were still mainly talking about opposition to restarting the nuclear power plants. There were lots of protests and gatherings organized around this issue. But I felt like something was getting left behind in the midst of this, that there was something that we needed to say that was getting bottled up while people were getting involved in movements and political activities, that we were going forward while ignoring the thing that we should actually be seriously focusing on. I couldn’t talk about that thing directly, and even if I say something I can’t reject [people’s need] to say things like, “It’s fine,” or, “I just want to think positively.” I can’t deny that people want to think that it will be ok as long as they are careful.

But because I was suppressing this unease somewhere deep down in my heart, I started to be harsh to people sometimes. For five years, people around me didn’t understand what was wrong, and I also put up walls of my own.

During all of this, I kept in touch with mothers who had evacuated. There are also lots of people, probably across the entire country, who evacuated voluntarily and are now doing their best to make themselves heard, or who have started their own autonomous activities in their new homes. I do feel more connected with people who are doing work based on their experience of this diaspora. It’s like I can’t talk to those close to me, but can with those far away, which makes me feel like I’m experiencing this strange kind of recalibration of distance that’s been produced by the nuclear accident. You can’t see it, and you can’t reduce it to something economic or physical, but this breakdown of relationality is, to some degree, another injury caused by the nuclear accident, and is part of the current situation.

In the meantime, in January of this year my partner was suddenly diagnosed with an intractable form of cancer at the age of 48. There were no signs whatsoever beforehand, and it’s a difficult type to detect in the first place. He’s in treatment now, but it was already in stage four when it was discovered. This is hard to understand unless you experience it yourself, but I knew from the beginning, at least on an intellectual level, that thyroid cancer would be more common because there was a nuclear disaster. But now we’re fighting a completely different battle than something as simple as having the statistical knowledge that the number of cancer patients will increase. As someone who now provides care and nursing, I’ve realized what it means for an individual human to get cancer, and I’m in the process of learning. While I can accept that indeed statistically the number of health problems will increase, I also feel resistance to thinking about things only from a statistical perspective. I feel like I’m still not quite able to express this feeling.

Our bodies are all individual, and our illnesses and symptoms are individual. With cancer, a child’s thyroid cancer is different from a 48-year-old’s, which is different from an elderly person’s. It’s different for men and women. Each person’s treatment and the problems that they face and must overcome are all radically different. So even though it is not wrong to say things like, “The number of cancer cases increases after a nuclear accident,” or, “More people get sick,” I feel that today we need different language, a different approach, words that can help people who are sick connect with each other. We need an environment in which people who are sick, people who care for them, and people who are offering support can speak more easily.

For myself, when I speak about my partner’s cancer, it’s not that he is thinking, “This is an effect of radiation exposure.” In other words he hasn’t concluded that radiation exposure was the only influence, and there are no materials [to prove] that either. But, he and I think it is probably one cause among many; we don’t “deny” it. That is our position.

And in January 2016, when we were informed [of the cancer diagnosis] and were running around pell-mell, the 3.11 Thyroid Cancer Families’ Society was established in Fukushima. When I saw an interview with them―and let me say young children getting cancer is different from getting it one’s 40s―but I thought, on the verge of tears, “This kind of [message] is really needed.” Apparently there were extremely few cases of children’s thyroid cancer until then. Rare cases.

Now there are self-help groups and organizations for patients at hospitals and other places. That is something that’s really great. But there have been few cases of rare cancers, rare cases until now, so it is difficult [for people] to connect. I was impressed by people’s efforts to get on their feet by at least connecting at first, to do necessary mutual aid kinds of things, in such circumstances.

At the same time, reading articles on blogs like “Health Victims’ Group,” I was also moved by passages like, “Instead of the rallies, now our own bodies and hospitals are becoming the site of struggle.” It made me realize that this is a crucial awareness to have in a society in which a nuclear accident, with its irreversible impact, has occurred.

This is what I wanted to say right after the accident. Until now radioactive material has been falling on the metropolis, which is both a political issue and simultaneously a problem that individuals must face. At the same time, voluntary evacuation and relocation are problems that are being “individualized.” While these issues must be fought on the individual level, we should also hold on to their political and social aspects. And although damage to health is something that affects people of all genders, it’s also true that care and nursing generally end up being women’s issues.

Right after the nuclear accident, I wrote about mothers’ care for their children from the perspective of “reproductive labor” and “care work” within the context of capitalism. The issue is who has to bear the liability for massive environmental disasters. This is also a sphere that can’t be converted into currency. Some feminists said that this was “simple maternalism” or that it would “strengthen familism,” but they are missing the point. These days such people have stopped saying anything at all, maybe because their initial stance is inconvenient for them now. They offer no helping hand regarding the outbreak of pediatric thyroid cancer in Fukushima, and offer no support for the single-mother households of voluntary evacuees. At some point they need to seriously consider their criticism of people tied to the accident, and the incorrect assessments of the situation they made initially.

Thinking back on it now, right after the accident there was a massive surge of both accurate and inaccurate information about the damage to health caused by radiation exposure. Honestly it was a difficult mix of good and bad, a kind of informational anarchy.

Even so, people wisely chose from among the available information, and eventually formed and attained a certain kind of literacy and understanding of the situation. And yet slowly there developed a very clear sense of “moment” or “instance” that silenced this kind of understanding, and which functioned more strongly than the visible forms of systemic censorship. It’s impossible to determinedly say that this sense was manufactured by the media or the government or the Ministry of the Environment. It was an unintended outcome, but it did create a climate in which people hesitate to talk about damage to health.

For instance, you might have heard of the “Oishimbo nosebleed incident.” [16] What I find problematic about this whole fuss―although some might find this sort of expression itself problematic―is that a town in Fukushima went and made a complaint against the comic series, which led to an additional complaint from Fukushima prefecture, which finally led to the Ministry of Environment officially making a conclusive statement that “there is no such thing” as increased nosebleeds in Fukushima.

Since I have grown quite familiar with feminism, I know that historically the repressive authority of dominant discourses has prohibited us from speaking about our own bodies. For example, menstruation has been regarded as an unclean or private matter in different historical periods. Even so, there have been efforts by women to speak up about topics that are difficult to talk about and to gain social recognition on such topics. One such effort was the fight for menstrual sick days, or to gain recognition that symptoms can be unique for different individuals.

As for health concerns and everyday concerns after 3.11, even in political spaces we’ve been coerced to be silent about these concerns and made to accept that even speaking about them is taboo. It isn’t that there is visible censorship or regulations, but there is censorship that arises from people’s own minds; we are all are expected to perform self-censorship. People around you say “That is a very complicated thing to talk about,” or, “Are you still afraid of radiation?” This kind of thing can even make you feel like your worth as a human is being judged.

It is precisely because we are obstructed from each other in this society that we need to speak up about radiation issues. To people who react to me by saying, “Still talking about it?” or, “Still worrying about it?” I’d like to respond immediately and ask, “Have we ever seen any policy or system developed or improved regarding measures against radiation exposure? For compensation for evacuees? There hasn’t been anything, has there?”

Philosopher Paul Virilio has called Chernobyl a “time accident”, meaning that it is one that will last for generations. In this climate too in Japan, we need to carefully watch and observe our society as it is being destroyed over a long time span.

Ryo Omatsu, a scholar of Russia, has studied the Chernobyl [nuclear disaster] and has published work introducing social movements ignited by residents and nuclear cleanup workers at the Chernobyl site. Similarly, we are familiar with a number of movements led by people with illnesses and people who became ill due to different types of industrial contamination.

There have been many lawsuits against nuclear power plants in the past 70 plus years since the end of WWII, and there are still many today. With these facts in mind, we need to carefully create environments and discursive spaces where people who feel that they have been affected are comfortable speaking up and where they can connect. When we refer to post-Chernobyl support systems, we are immediately met with the argument that we can’t replicate them because we have a different social system in Japan. However, I believe that Chernobyl must be studied as a historical reference regarding social support systems for nuclear disasters.

Those who are pro-nuclear can use as their strength the uncertain nature of how radioactive exposure manifests as illness. It is tricky that experiencing a nuclear accident and becoming ill are not in a direct one-to-one relationship. Nevertheless I think people need to not only keep the nuclear accident in their minds but also make some kind of record of their experiences.

The fact that those who suffered damages need to prove the damage is absurd in itself. Nevertheless, you can create records of what you were doing before and after 3.11; where you were; if you are in the Kanto region, then what the radiation levels are in the soil around your home. For instance I participated in a project where I wore a film badge dosimeter [17] to study my radioactive doses for a week (although the dosimeter is only capable of measuring doses on the external surface of your body, not total contamination levels). We could start something like this even now. An accumulation [of this data] could be our strength in the future.

I want to remind everyone that people with cancer and other intractable illnesses have always organized themselves to share their experiences, offer mutual aid, and share information. It is very necessary for people to have this kind of space today. While we hear “radiation exposure is scary” and “radiation exposure is terrible” these phrases are often used as vague images without the concreteness of illness [as it manifests in our bodies].

It has been five years since the accident; we are past the point of arguing about what is right and what is wrong. It is not a question of that. Instead we need to share concrete knowledge about how to protect our bodies, and how to act if we become sick. We need to communicate with, not isolate, each other as much as possible. It should be something like a self-support group. While being a self-support group, it should not settle itself as a closed group―its members should take political stances and open themselves to the wider society. That’s the kind of organization we need.

Mastudaira:

Regarding the Oishimbo incident and other issues, I feel that there is an implicit network of physicists and scientists of all sorts who suppress any statements by those who oppose nuclear energy. What do you think about this?

Matsumoto:

Here we’re talking about where the discourse known as “radiation exposure crushing” (hibaku tsubushi) [18] emerges from. We can consider three possibilities: whether this discourse originates in economic concerns, is linked to power relations, or if it is solely an internal issue. There are many uncertainties on these points, but I think if we look into it deeply enough, we will find some definite conclusions. What I’m concerned about, though, is the the third possibility I raised, that hibaku tsubushi discourse is coming from self-censorship. There are many people who are self-censoring and actively adopting the myth of radiation safety. I am terrified of the power that these acts have on people.

In thinking about who is producing this discourse in an organized way, it’s possible to build a solid argument by finding where exactly the money is coming from. We have seen this in the work of Ryu Honma who investigates public relations in the nuclear industry. Somewhat differently, Takashi Soeda has demonstrated the falsity of the phrase “this accident was unforeseeable” (soteigai), which is often used by nuclear apologists when describing the nature of the 2011 disaster. There have been many investigative journalists making enormous efforts to bust those myths. Kosuke Hino’s work has also been an indispensable contribution.

We must use these exceptional reports as a guide to fully investigate discourses that have underemphasized radiation exposure post-3.11. Another troubling aspect of this discourse lies within our everyday life; what ruptures our human relations is self-censorship and willing acceptance [of safety myths]. I’d like to suggest that we constantly take note of why we actively participate in reinforcing the discourse of the ruling class.

It’s difficult for nuclear victims to connect and act in solidarity due to the fact that damage can manifest in a wide range of forms both spatially and temporally, which is one characteristic of nuclear disasters. This is especially true in today’s society where, thanks to neoliberalism, we are expected to act at our own risk and work out our own salvation.

This accident was also the first since the development of social networking. In the European Atomic Energy Community (EAEC/Euratom), the ways in which social networking performs during a nuclear disaster has already become a research theme and subject of analysis.

In the first two or three years after the accident, I saw my friends and acquaintances start to actively believe in the myth of radiation safety and wondered to myself, “Why are they turning against themselves like that.” But thinking these kinds of thoughts too much just tires me out, and now I catch myself observing them as subjects who are mobilized in the creation of public consensus, when clearly the discourse of hibaku tsubushi actively minimizes the damage of the incident. I observe them to try and understand why people decide to actively conform to such discourse. This is a different case, but I’m sure similar things probably happened with Minamata disease [19] or the atomic bomb. I believe it is necessary to look at these cases and compare them to what is happening today.

It is the sixth year since the accident now. Forces that divide people, along with both tangible and intangible damage―including actualized health damages―will continue to become stronger. In March 2017, the government will terminate financial assistance for voluntary evacuees. More recently, the government began speaking about ending restrictions to the entire “difficult-to-return” [20] zone in 2021. The government of Japan is desperately fabricating the final end of the nuclear disaster, with the help of events like the 2020 Tokyo Olympics. People say that it is wrong to diminish memories because they are personal, while the social phenomenon of “structural diminishment” is getting stronger and stronger. This phenomenon obscures responsibility for the accident and for the management of its aftermath.

In this context, there is an urgent need to create concrete spaces of mutual aid and rebuild relationality, which includes modifying our own language and thought.

Testimony: Matsudaira Koichi’s colon cancer―radiation damage and cancer patients

Matsumoto went to Kiev right after the Chernobyl accident, and she became concerned about the issue of radiation damage in the Kanto area very early on. I think she has spoken candidly about her very incisive hesitations regarding those who were indifferent about radiation damage from the Fukushima nuclear accident. Matsumoto says that it is important to document, and the Health Victims Group has argued since its founding that it is important to leave “testimonies as victims.” Members of the Health Victims Group and I tentatively created the following questionnaire to collect testimonies:

1.Name, age, gender

2.Where did you live until 3.11? (Please include your prefecture and municipality.)

3.If your residence changed after 3.11, please tell us the new place and when you moved.

4.What symptoms do you have, or what is the condition of your health now?

5.Did you have any symptoms of illnesses listed above before 3.11? If so, were there any differences before and after 3.11?

6.Please describe your everyday habits.

7.Were you getting regular health check-ups?

8.Do you think [your condition] is related to the nuclear accident?

9.What do you find most difficult since you became ill?

10.What are your current hopes?

In the Health Victims Group, we are seeking people who would like to share their experiences of health damage with each other.”

I responded to these items in the following way. This is my simple self-introduction concerning my condition as a radiation victim, and it is also the health record of one patient. Below is my testimony (taken May 8, 2016) as a member of the Health Victims Group.

How is the condition of your health now?

My name is Matsudaira Koichi and I’m a cancer patient. I am 38 years old. I was diagnosed with colon cancer in November of last year (2015). It has been almost half a year since I learned that I have cancer. When they found it, it was already stage four and had spread to my liver. I was told that my five-year survival rate is 18%. The cancer has spread widely throughout my body, and surgical resection was not possible. I am receiving chemotherapy, but there has not been much change since the diagnosis. Chemotherapy apparently helps to prolong one’s life, but I understand that it eventually stops working.

Right now, because of the side effects, I always feel unwell, and I often end up sleeping the entire day. I keep going back to the hospital for stomach pain and constipation. My colon is not functioning, so I have a stoma (colostomy). I feel miserable since my problems are related to fecal matter.

How was your health until your illness was discovered?

In November, I was attacked by horrible stomach pain and went to the hospital, where I learned that I had cancer. Until it was discovered, for about a year, there were many times I felt unwell, like having diarrhea. I would have diarrhea 6 or 7 times a day. I thought it was psychological. I felt anxious leaving for work every day. In October and November, I became unable to stand in front of the toilet. It was so painful I stayed curled up on the floor, wondering if I should call an ambulance.

Please describe your everyday habits.

In terms of my habits, I ate at Yoshinoya very frequently. [21] There were some days I would go to Yoshinoya twice in one day. I also went to Saizeriya [22] often. I ate out often from ages 20 to 37.

Where do you live? Where do you work?

I have mostly lived in Fuchu city in Tokyo since I was born. Around the time the nuclear accident occurred, I would stand in the street in Ginza (Chuo ward) every day for work. I worked there from March 2011 to February 2012. From April to June 2012, I worked in Tameikesanno (Chiyoda ward); from November 2012 to October 2015 in Ariake in Koto ward. Although I didn’t want to drink the water around there, I drank the tap water. I also tended to drink a good amount of alcohol. When my cancer symptoms became worse, there was one time I felt so sick the day after I went out drinking that I couldn’t get up for the entire day.

Were you getting health checkups?

I got a health check-up once a year. Besides having a low pulse, I didn’t have any abnormalities. In 2015 alone, I had a routine check-up through my job in the summer. Then in October I worked for a clinical trial of new drug and was briefly hospitalized. During the checkup for the drug trial, they did not find any abnormalities. I assume that there must have been a pretty significant cancerous tumor in my body around that time. In May and September, I had two instances of pain below my right chest area, which I had assumed was caused by falling off my bike and bumping my chest.

I felt sick for about 25 days [in May ’15], and about 14 days [in September ’15]. I saw an orthopedist for this pain but they didn’t find anything wrong. Had I received a thorough examination at that time, I think they would have found the cancer. I think my internal organs were probably inflamed from the cancer.

Do you think [your illness] is related to radiation from the nuclear accident?

In my case, I think the causes of cancer were too much intake of beef and food additives, a lifestyle lacking in vegetables, and everyday stress.

But, it is also rare to get cancer at my age, and I think it may be related to the nuclear accident. Yoshinoya and Saizeriya are both “support by eating” [23] companies, so it is possible that radiation from the accident increased my chances of cancer. Right after 3.11 happened, I thought that I would become sick if I did not evacuate, but I didn’t dare evacuate. I think it makes sense that I would get a major life-threatening illness living in Tokyo, where it is possible to be affected by exposure to radiation.

What is the hardest thing about being sick?

I used to like cross-dressing as a woman. I am sad that I can’t anymore because having a stoma and being constantly ill prevents me from doing what I want to do. My hair has fallen out and become thin. I was also interested in marriage and raising children, but sadly I realize that it is probably no longer possible. Lately, I have started watching the anime Assassination Classroom―I cry thinking about the relationality of fate between the students who have to kill their teacher, and the teacher who has been mentoring the students yet becomes their target of assassination.

What are your current hopes?

To destroy TEPCO and Japan.
I’ve been hearing a lot about the Minamata disease these days as it’s approaching the 60th year since the disease was officially recognized by the state as an illness caused by industrial pollution. I think the movement led by Minamata disease victims was a really long struggle. But if it is going to take over 10,000 years before radioactive waste is no longer toxic, then for health victims of nuclear power plants, it may take us a “hundred thousand years of war.” We are being shot from somewhere by an invisible gun called radiation, and those who have been hit are dying one by one. We must resist this. We should carry on the ambition of past anti-nuclear movements and of the victims of the Chernobyl nuclear disaster, and have a “hundred thousand year war” with Japan and with “worldwide nuclear empire.” [24] I will participate in this war, and my hope is that even if I am defeated, I can entrust the spirit of struggle to the future generation.

That is the extent of my testimony. However, I have an unresolved question I must continue to investigate: whether I am a “true” “health victim” “of the Fukushima nuclear accident.” To begin with, historically, the number of cancer patients in Japan has been increasing since before the nuclear accident.

In July 2016, the National Cancer Center of Japan reported its estimates of the number of new cancer diagnoses and the number of people who will die from cancer. The number of diagnoses was 1,010,200 and the number of deaths was 374,000. A tremendous number of Japanese have cancer and are dying. And there certainly isn’t one uniform cause for developing cancer.

Furthermore, although I’ll leave out the full explanation of the evidence here, even if we use a very conservative estimate employing the ICRP model, we can estimate the impact on humans of the radioactive contamination from the Fukushima nuclear disaster will likely lead to thousands of additional deaths from cancer in the Tokyo metropolitan area alone. We should recognize this.

One thing I want to stress in this discussion is that even if “over a million cancer cases emerge” and “thousands end up dying of cancer in Tokyo,” you are talking only in terms of a statistical figure. But each and every cancer patient in that figure struggles in their own different way in their sickbed.

By the way, I did not know this because I hate television and do not watch it, but while I was penning this article, I heard about a person named Shuntaro Torigoe who ran in the Tokyo gubernatorial election. Like me, he had colon cancer which had spread to his liver. I received encouragement from people who would say that mine “hadn’t spread yet,” and, “Torigoe had cancer even in his lungs but he’s better now and running in the gubernatorial election, so you should keep at it too.” I understand that these people acted with good intentions to help me stay optimistic. But, just because someone else recovered from late-stage colon cancer does not mean that I will too.

After being a cancer patient for a while, I feel that at times there is a kind of “cancer harassment” that happens. It doesn’t matter if someone “has the same colon cancer” or “there are other people with stage four cancer who have survived.” The fate that awaits each person is never bound to be the same.

This is completely irrelevant, but Torigoe was involved in a sex scandal, alleged to have seduced a university student, and I think that he is innocent of this. Anyhow, I got a hernia when I recently had sex for the first time in a while. A slight amount of pressure on my abdomen will cause my intestine to protrude out of the colostomy site on my abdomen. By now, stoma prolapsing is normal, and whenever I raise my body, or have some kind of emotional stress, or after I eat, my intestines spill out like a samurai who has committed harakiri. It will keep spilling out unless I hold it in with my hand. Apparently this is because my intestines are loose inside of my body. My doctor tells me that it may be the side effect of the cancer medicine working, or it could be that my cancer is becoming worse.

In this condition, it scares me to be alone with a woman. My mind goes completely blank whenever I imagine it being like this until I die. I remembered feeling frustrated at my parents who, a few days earlier, told me they “would like to see [their] grandchild’s face.” The symptoms of the hernia get better if I stay laying down, but in that case, I will have to live sideways forever. The struggle against an illness varies from person to person, even among people with colon cancer like me.

Someone compared nuclear power plants to cancer. A malignant tumor pretends that it is a companion to a human and avoids being attacked by immune cells. Malignant tumors then send their own cancerous cells to healthy organs, infect them, spread all over the body, and continue to grow more tumors. One by one, these tumors destroy major organs in the body until the body dies. For the earth, nuclear power plants are a cancer. Pro-nuclear people use flowery words to convince others of the necessity of nuclear power plants and dupe people into the idea of “energy for our bright future.” They rooted the power plants deeply into Japanese society.

The disease of pro-nuclear forces in the world is a serious problem.

I don’t know if I am a “victim of a nuclear accident,” but as a “3.11 radiation victim” there is one thing I want to say: nuclear power can never be forgiven, because it continues to increase the number of people that must die terrible deaths due to cancer.

Cancer irreversibly damages organs one by one in people, causing painful death. Cancer patients who die each have their own life, full of poetry. We cannot allow even one more person to die of cancer because of nuclear policies propelling this old and futureless technology. Enough is enough.

* * * * *

1. See Barker and Johnston 2008, The Rongelap Report: Consequential Damages of Nuclear War for a thorough review of research on the effects of American nuclear testing on the Marshall Islands and the systematic censorship of evidence pointing to American culpability for health damages suffered by the Marshallese.
2. See Lindee 1994, Suffering Made Real: American Science and the Survivors at Hiroshima.
3. See Stephens 2002, “Bounding Uncertainty: The Post-Chernobyl Culture of Radiation Protection Experts,” in Catastrophe and Culture: the Anthropology of Disaster; Petryna 2006, Life Exposed: Biological Citizens After Chernobyl.
4. See discussions of the “Oishimbo incident” for more information on these politics and the success of the myth of safety, such as Ochiai 2013, “The Manga ‘Oishinbo’ Controversy: Radiation and Nose Bleeding in the Wake of 3.11”.
5. “Radiation exposure” (hibaku) is expressed as one word in Japanese, with the characters for “suffer/receive” (被) and either “bomb” (爆) when referring to exposure from nuclear weapons, or “expose” (曝) when referring to exposure from other sources. Here, the term used is hibaku higaisha (被曝被害者).
6. The official Japanese term uses the word “accident” (事故) rather than “disaster” (災害).
7. The term used here, hisaisha (被災者), can be translated as “victim,” but refers primarily to victims of natural disasters, as opposed to higaisha (被害者), which refers mainly to the victims of accidents. Except for this first instance, higaisha is used throughout this article. In the context of the Chernobyl disaster, the Ukrainian state introduced the legal category of “sufferer” in 1991 to recognize those affected. We have chosen to translate the term higaisha as “victim” to convey the sense in Japanese that harm has been wrongfully caused. For more on Chernobyl “sufferers,” see Petryna 2013 [2002], Life Exposed: Biological Citizens After Chernobyl and Alexievich 2006, Voices From Chernobyl: the Oral History of a Nuclear Disaster.
8. The Kanto region comprises the Greater Tokyo Area and the prefectures of Gunma, Tochigi, Ibaraki, Saitama, Chiba, and Kanagawa.
9. This is a reference to the way that concerns about the effects of radiation, or discussion of actual injuries from radiation exposure, have been stigmatized as a psychological or emotional hypersensitivity to (fear of, or anxieties about) radiation. This is conveyed through a play on the word for radiation, hoshano (放射能), where the last character has been replaced with the character for “brain” or “mind” (脳), which is also read “no”. C.f. Kimura 2016, Radiation Brain Moms and Citizen Scientists: the Gender Politics of Food Contamination after Fukushima. There have also been many cases where those who discuss concerns about “low-level” radiation exposure have been described as “hysterical,” “irrational,” divisive, and unpatriotic. This is similar to attributions of “radiophobia” directed at victims of the Chernobyl nuclear disaster of 1986. C.f. Petryna 2013 [2002].
10. See ICRP, The 2007 Recommendations of the International Commission on Radiological Protection.
11. The author writes a cultural criticism column for the magazine, Jokyo (情況).
12. This text is based on the transcription of a speech by Matsumoto Mari. A recording of the event can be found here: https://youtu.be/pU4mjehgcaA
13. The National Diet is Japan’s legislature.
14. Translation adapted to reflect past conversations with the author.
15. Those who endorse the safety of radiation exposure, mostly standardized by the state and nuclear industry interests.
16. The popular comic series Oishimbo ran episodes about Fukushima in which the author portrayed residents in Fukushima claiming that they experienced frequent nosebleeds due to radiation exposure. The series immediately came under fire upon publication, criticized by media and government offices.
17. Referred to as a “glass badge” in Japanese (garasu bajji; ガラスバッジ).
18. Discourses that suppress or “crush” (tsubusu; 潰す) any talk about radiation exposure and its effects, effectively censoring dissident voices post-3.11. Such voices are usually labeled as overly radiophobic, or afraid of radiation.
19. Minamata disease is a neurological syndrome caused by mercury poisoning. It received national attention in Japan when the wastewater of a chemical factory in a small fishing village in southern Japan became contaminated with mercury. The disease began to appear first in 1953, and although the government officially recognized it in 1956, it took the factory owner years to acknowledge its liability. The victims’ families have fought for decades, and still continue to fight for recognition and compensation.
20. The official designation of the most contaminated zone around the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant, with an annual exposure dose exceeding 50 mSv/year. This zone includes areas from seven municipalities declared “difficult to return to” by the Japanese government.
21. Yoshinoya is a Japanese fast food chain serving gyudon (beef over rice). In 2013 the company established joint venture, Yoshinoya Farm Fukushima Co. in Shirakawa City, 40 miles west of Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant, to grow rice and vegetables for their restaurants.
22. Another chain, referred to as “family restaurants” in Japanese. Comparable to Applebee’s in the U.S.
23. State-led campaign which enlists food businesses to purchase produce from the Tohoku area (around Fukushima). This is a tactic to shift responsibility for the consequences of nuclear disaster onto consumer relations: i.e. the only way to support farmers and others making their livelihoods in affected regions is to consume their products.
24. In Japanese, quotation marks are often used to distinguish a concept. Here, Matsudaira advocates fighting against both actual countries with nuclear power, and with an imperialist system of nation-states/the system that produces them.

「被害者の会」のネットツール活用について

★「被害者の会」のネットツール活用について

私は「福島原発事故による健康被害者の会」という運動に取り組んでいる。この課題に取り組むに当たって必要なこととして、二十一世紀のネット社会にて、病人どうしがどう繋がりあうかということについて、一つ提起をしたい。311による健康被害者は東日本全域に広がる。またそこから避難した者や、国際的な反原発組織との連帯も必要だ。今、当会のメンバーは主に関東在住のものだが、ネットを活用することで、超地域的な活動を行なえないかと考える。一つには、ツイキャスを使いライブでの動画配信で集会をなし、オンラインに開かれた討論の場を設ける。もう一つには、Skypeによるチャット会議を推奨したい。
前回のSkype会議のとき、こんな出来事があった。会議に参加したいので、場所を教えて欲しいというメッセが届いたのだ。私は、外部の方に開かれたリアルの会議の場所は存在せず、Skypeの使い方を学んで欲しいという旨の返信をした。すると、極度の機械音痴のため、Skype導入は不可能だと返答があった。そしてまた一ヶ月後、再び、次の企画で、会に参加したいので、場所を教えて欲しいという旨、ご連絡をいただいた。私は答えた。

――先月の会に引き続き、今月の会も、Skypeでの交流が主な手段になります。リアルで集まることを想定していません。会議室や集会場を借りて皆で集まる、というのは、一定程度以上健康でなければ行なえません。病人にとっては、距離の移動や、外出、知らない人による自宅への突然の訪問も、負担になりえます。Skypeというのは、病人への配慮をするための一つのスキルです。合理的配慮のための、能力の不足した方との交流は、できないケースもあるでしょう。◯◯さんご自身が、そのうち病人になったり衰弱して外出できなくなったときのためにも、今のうちに、「一、スマートフォンかパソコンの購入と、二、Skypeのアプリかソフトのインストールと習熟」は、行なわれた方がよろしいかと。Skypeの設定が難しいようなら、私に直接お電話をいただければ、設定の仕方の相談に乗りますよ――と。

寝たきりのものにとって、多人数での集会参加は非常に難しいものだということは主張しておきたい。「病者の運動」では、「一、Skypeの習熟は病人への合理的配慮として必要だ」「二、Skypeでの交流の足りないことを補なうため、会員同士のリアルでの「お見舞い」のし合いを推奨する」「三、また、適宜、直接の電話や、facebookやlineのグループチャットで交流をする」といったことを意識すべきではないか。
私たちの直面しているある種「原発帝国」とでも呼びうるような「敵」は、超国際的な、凄絶に巨大な「制度」だ。これと立ち向かうために、地理的な束縛を離れた広域的な連帯を、世界史的必然性のもとに行なわなければいけない。そのために、各自、ネットツールの習熟に励んで欲しいのだ。
松平耕一(福島原発事故による健康被害者の会)

【イベント】311被爆被害者のツイキャス放送とSkype交流会

※本企画は、主催の体調悪化により、取りやめになる可能性もありえます。
◯日時 12月15日木曜
①前半15時頃開始
②後半20時頃開始、22時までに終了
◯内容
・①前半 話し手の二人による雑談会をツイキャスにて放送する。東日本関東圏に住むざらすとろと松平が自分たちの311健康被害について語り合う。福島県以外でも増加している児童の甲状腺癌の問題を考えつつ、日本と「原発帝国」の悪を告発する。また、アーユルヴェーダの基本食であるキチュリなどを作って食べる。
・②後半 状況を見て、20時頃から、Skype交流会に移行します。主にツイキャス視聴者などを対象に広く参加者を募り、非公開で、Skypeにて意見交換する。ネットに接続できる方はどなたも参加歓迎。311の健康被害についてや、昨今の原発事故関連の情報について話題にしたい。
◯話し手 ざらすとろ(@georg_trakl )、松平耕一(@matudaira)
◯ツイキャス放送:ざらすとろちゃんねる http://twitcasting.tv/georg_trakl
◯Skype交流会参加希望者は、スマホないしパソコンにSkypeのアプリないしソフトをインストールし、連絡先追加のリクエストをmatudairayamameに送信お願いします
◯主催 福島原発事故による健康被害者の会

三・一一被曝被害者は語ることができるか

※以下は「被害者の会」会員の松平耕一が、雑誌「情況」掲載用に準備した記事です。「情況」編集部に許可を取り、ここに掲載させていただきます。

【文化時評】「三・一一被曝被害者は語ることができるか」松平耕一

「三・一一の被曝被害者」とは何か、誰であるのか、そんなことを問うてみたい。福島県の地域住民に、そして、福島原発の労働者に、甚大な被害をもたらしてきている福島原発事故だが、その災害の本当の全容は、未だまるで見えていない。福島原発事故による「被災者」といえば、主に、福島県での、政府による避難指示区域の住民のことを指すことが多かろう。そして、福島原発事故による「健康被害者」と言えば、その焦点は、福島原発の作業員や、福島県での小児甲状腺がんの患者となるはずだ。しかし、ここでは「三・一一の被曝被害者」というものの外延を広げたいと思う。福島の近隣圏や関東圏までを含めた東日本の在住のすべての存在は、可能性としての「三・一一被曝被害者」でありうる。そして、東日本在住の多くの病人は、実は、可能性としての「健康被害者」でありうる。しかし、東日本在住の特定の病人が「被曝被害者」であり、かつ「健康被害者」でもありうるということを論証するためには、疫学的・科学的な検討が必要になる。この論証過程を疎かにすると、「放射脳」と罵倒され批判される危険性を冒しうる。
東日本の多くの地域で、原発事故後、放射能汚染が観測された。国際放射線防護委員会(ICRP)の二〇〇七年の勧告では、一年間の被曝限度となる放射線量を、平常時は1mSv未満と定めていたが、これを超えて被曝させられた人々は、東日本において凄絶な単位で存在する。翻って考えてみるに、被曝被害というものを、細かく見ていけば、自然放射線以外の、原発事故による放射能汚染をほんの少しでも受けた人々は、すべて、「三・一一被曝被害者」であると定義できるはずだ。この意味で、生まれてこのかた三八年間東京都民であった私、松平耕一は、間違いなく「三・一一被曝被害者」であると言えよう。
そして、今、松平は一人の、いまどき珍しくもない病気の病人であるが、もしかしたら、可能性としての「福島原発事故による健康被害者」かもしれない。つまり私は、私たち東日本在住の病人は、「三・一一被曝被害者」であることは名乗りえて、一方で「福島原発事故による健康被害者」であると言い得るかどうかには、多少の蛮勇が必要な場合もある。
私は、この文化時評において「三・一一被曝被害者」の立場から、文学的な想像力によって、「原発事故による健康被害者」の立場へと跳躍することで、その健康被害者の、歴史的責任について検討したいと思っている。まずは次のレポートを読んでいただきたい。

○松本麻里に聞く
「事故から五年目にあたって「被曝被害」をどう考えるか――フェミニズムの視点から」

(この章は、二〇一六年五月五日の「福島原発事故による健康被害者の会(以下、被害者の会)」による集会「関東圏の放射能被害vol.2-広がる被害、つながり、避難という希望」における話し手の発言を編集し、松本麻里へのインタビューの形にまとめなおしたものです)
――「被害者の会」は、三・一一以降の反原発運動や国会前での抗議行動をやっているなかで出会った人たちが始めた集まりです。もともとは、東京電力や国の、原発事故の責任追及や、福島の子供達の被曝の被害や、避難者の苦しみに対して、自分たちで支援をしよう、責任追及をしようというアクションをしてきたわけです。ですが、事故から五年たって、その五年目というのは、チェルノブイリ原発事故で、爆発的に、さまざまな健康被害者が増え始めた年でもあったわけですね。それを自覚しながら、実は自分たち自身にも、いろんな健康被害が出てきているんじゃないかということを話し合っていました。大腸癌、心臓の疾患、甲状腺異常、皮膚病やアレルギーの悪化、食道炎の悪化、化学物質過敏症の悪化といったものに苦しめられている仲間が、いっぱいいるじゃないかということに改めて気づきました。そして、福島の健康被害が、あれだけ言えなくなっている、避難も口に出せなくなっている。この状況を変えるには、関東での健康被害、大人の、若者の健康被害も声を出していかなければならない。誰もが放射能被曝で健康被害がでうると、そしてそのことに、国や東電は責任を果たさなければいけないんだということへの、流れを作っていきたいと思っています。
今回は「被害者の会」の松本麻里さんにお話をお聞きしたいと思います。松本さんは、もともと、現代思想の分野でフェミニズムの研究や論文を発表されていました。原発事故後は、まさに被曝の問題について、論文を書いていますね。私たち、健康被害に苦しむ人や、それに関心がある人には、何が必要であるのでしょうか?

松本 もともとフェミニズム、女性に関するさまざまな問題について文章を書いていたりしたんですけれども、三・一一以降、はじめのころは原発事故問題について、ちらっと文章を書いたりしました。しかしそのあと、具合が悪くなってしまった。具合が悪くなったのが、結局なんだったのかと自分にして思うと、やっぱり「被曝」の問題が自分にとってはメインテーマだと思っていたんですけれども、それに対して周りの反応が、あまりに冷たいというか無関心というか、そういうものだったんですね。「被曝」について子供を守ろうとする母親への視線が、即「母性主義」であるというような短絡的な批判が多かった。左派やフェミニズムでもひどかった。その後、健康被害が顕在化している現在から照らすと、結果として誰を、何を利してしまったかというと、「安心派」の言説です。
個人的なことを話しますと、一九八五年に、キエフにちらっと行っていたことがあって、まさにチェルノブイリの前年ですね。そのあと、向こうの日本語を勉強している人たちと、ちらちら連絡をとっていたりしたんですが、だんだん音信不通になっていった。郵便の事情もあったんですが、当時まだ小さかったんですが、あるとき、キエフのまだ若かった人が、白内障になったということを聞いておどろきました。若い人がなるものなのだ、と。いまにして思えば、ですが。そのときに、原発事故が起きてしまった社会、その社会がゆっくり壊れていくということを感じて、記憶に残っていたのかもしれません。
ですから、日本において、三・一一の原発事故が起こったあと、まっさきに頭をよぎったのが、被曝の問題だったんですね。しかし、これはもちろん頭ごなしに批判するわけではないんですが、もちろん私も再稼働反対にちがいはないのですが、特に首都圏だと「再稼働反対」という声がメインだった。それをテーマにいろんなデモや集会がもたれた。私はその中で、何かが置き去りにされているし、言わなければいけないことを、蓋をしながら運動とか政治活動とかをしていて、本当に向き合わなければいけない何かを騙し騙ししながら、やっているのじゃないかと思っていた。そういうことは、はっきりと言葉にはできないし、言ったところで「大丈夫」とか、みんな「ポジティブに考えたい」というのは、否定できないと思うんですよね。「気をつけているから大丈夫」という風に思いたいというのは否定できないというのはある。
でも心の底にある不安を押し殺していることが原因で、自分の態度がとげとげしくなって、周りに不理解があったりとか、自分で勝手に壁を作ったりとか、そういうことがこの五年間でした。
そういった中でも避難しているお母さんと交流したり、自主避難して一生懸命言葉を発している方、自律した動きを作っているかたは日本全国にいると思うんです。そうしたディアスポラの経験から発している人たちとはつながってる感覚がある。逆に近くにいる人とは話ができないけれども、遠くにいる人とは話ができるといったような、不思議な、原発事故がもたらした、距離の組み換えみたいなものの中にいたなと思うんです。目には見えないし、貨幣や物理的に還元できないけれど、関係性の崩壊、ある意味で、これも原発事故がもたらした被害であり、状況だと思っています。
そうこうしているうちに、実は今年の一月に、私の同居人が四八歳で、突然、難しい癌ということが分ったんですね。全然兆候がなかったし、もともと発見が難しい癌ということもあって、今治療中なんですけれども、ステージ四というかなり重い段階で見つかったんですね。こういうことって、なってみないと分からないのですけれども、一般的に、自分の頭の中で「原発事故が起こりました。それで、甲状腺がんが増える」というのは、当初から知っていたことではあるのですけれども「癌患者が統計上増える」という知識があることとは、別の問題といま格闘しています。自分が看護・介護する身になってみて「一人の人間が癌になるということは、こういうことなのだな」と思って、今、学びの最中という感じなんです。確かに「統計的」に健康被害が増えるということは否定できないと同時に、また統計的に処理されることにやっぱり抵抗感がある。このあたりの感覚はまだうまくいいあてられていません。
私たちの身体は個別的ですし、病気や症状は個別的ですし、癌といったところで、お子さんが甲状腺がんになるというのと、四八歳の人がなるのと、あるいは高齢の方がなるのと、女性がなるのと、男性がなるのと、治療法と同時に、抱えて、克服しなくてはならない問題も、大変個別的です。そうしたなかで「原発事故で癌が増えますよ」「病気が増えますよ」と、それは確かなんだけれども、もう少し別の言葉というか、別の切り口みたいなもの、病を抱えたものどうしがつながれる言葉、病を抱えた人、あるいは看護する人、それを支える人が発言しやすい環境が必要かなということをいま考えています。
私自身は、相方の癌について言うと、本人は「これは被曝の影響だ」と思っているわけではないのです。つまり被曝が唯一の影響だ、と断定しているわけではありませんし、そのための材料もありません。ただ、たくさんある、いくつかある原因の一つだろうというように、私も、相方も「否定」はしていません。そうした立場です。
また二〇一六年の一月に告知を受けて、そのあとてんやわんやであちこち走り回っているときに、福島で「311甲状腺がんの家族の会」が立ち上がりました。その会見を見ていると、若いお子さんたちが癌になるのと、四〇代の癌と、ケースは違うんだけれども「こういうことが必要なんだな」ということを、涙が出るような思いで見ました。恐らくお子さんの甲状腺がんというものは、これまですごくケースが少ないですよね。希少ケース。
今病院などでも、患者さんの自助組織や、セルフヘルプグループがあると思います。それはとてもいいことで、一方、希少癌、希少発症例はこれまで母数が少ないからつながることも難しくなる。そんな折に、必要な相互扶助的なもの、まず繋がることでたちあがって、という人々の営みに感銘をうけました。
と同時に、この「被害者の会」のブログの記事で「デモではなくて、自分の身体や病院が闘争の場になるんだ」という文章を目にして、それにも感銘を受けました。原発事故が、「起きてしまった」あとの社会に不可欠な認識だと思えました。
私が事故直後に言いたかったのはそういうことでした。ここまで、放射性物質が首都圏に降り注いでいて、それは政治的な課題であるのと同時に、個人が抱え込まなければいけない問題です。また自主避難や移住の問題も「個人化」されてしまっている。個人として格闘しなくてはいけない問題であると同時に、社会的・政治的な糸口というものを、どこかに持たなければいけない。また、健康被害は性別を問わず、といえども、多く「介護」「看護」や「ケア」に関わる女性の問題でもある。
私は原発事故の直後、母親たちの子供のケアを、資本主義の中での「再生産労働」「ケア労働」の視点から論じました。巨大科学事故の「負債」を、誰が担っているのかという問題です。それも貨幣に換算できない領域で。「単なる母性主義だ」とか「家族主義を強める」というフェミニズムの論者もいましたが、検討違いです。なによりその人たちは、初動の自分たちの言動が都合が悪かったのか、今やすっかり何も語っていません。福島の甲状腺がんの多発や、自主避難者の母子家庭に支援の手をさしのべようとはしていません。この初動で、全体状況を見誤って、事故の当事者にむけられた批判は、どこかでいったん検証しなければならないと思っています。
今思うと、被曝による健康被害の情報は、適切なものも、眉唾なものも、事故後にバーっと広がったと思います。正直、玉石混交でした。情報のアナーキー状態。
それでも人々は、そのなかから賢明に取捨選択し、ある種の「リテラシー」「状況知」が形成されたり、獲得されていたと思うんですね。ところが次第に、それが黙らせられていく「瞬間」「出来事」というものが、はっきりあったと思います。目に見える制度的「検閲」以上に。それはメディアが仕組んだとか、行政がとか、環境省が仕組んだ、と明確に断定できるわけではなく、意図せざる結果なんだけれども、「健康被害」を話すことをためらわさせる状態が作られていった。
たとえば、一つには、皆さんご存知かと思いますが「『美味しんぼ』の鼻血問題」があったりしますよね。あれも何が問題かというと、ああいった表現を問題にされる方もいらっしゃるかもしれないけれども、あの表現に対して、町から意見が出て、そのあと福島県から意見が出て、最後は環境省が「そういったことはありません」といったような否定を出した。
私はフェミニズムになじんできたので女性の身体に関することも、かつては支配的言説によって、語ることが封じ込められてきたということを知っています。たとえば月経の話でいうとそれは「不浄なものだ」とか、「個人的な問題だ」と時代によって言われたりしてきた。それでも、言いづらいことを、女性が声をあげたり、あるいは、社会的に認めさせるための様々な動きがあった。「生理休暇」を認めさせるとか。個人的にさまざまな症状を抱えるとか。
三・一一後の健康不安や、生活に関する懸念は、どうも政治的空間のなかですら黙らされっぱなしで、話すことすらタブー化されてしまう。それは、検閲であるとか、制度的にかっちりと決められているわけではないのですけれども「人の心がもたらす検閲」というか「自発的検閲」というか、「そういう話をするのはやっかいだから」とか「また被曝は怖いとか言ってんの?」と。ともすると、その人の資質にまで還元されてしまう。
でも今も問題にして、語っていかなくてはならないというのは、なにより状況が閉塞化しているからなんですよね。「まだそんな話してんの?」「まだ心配してんの?」という人には、即、切り返したいですね、逆に。「被曝対策に関する政策や、改善・進展したものってありますか?」と。避難に対する補償の話でも、制度的にでも。ないでしょう?
ポール・ヴィリリオはチェルノブイリ事故を、「時間の事故」と呼びました。このゆっくり崩壊していく社会を凝視し、観察していかなければならないのだと思います。
また、一方、ロシア研究者の尾松亮さんが研究・報告されていますが、チェルノブイリでの住民と原発収束作業員の運動があり、日本社会でも病者の運動、公害の健康被害を受けた方の運動はたくさん知られていますね。
戦後七〇年経って、今も原発訴訟はたくさん起こっています。そういうところを参照するにつけ、まず「被害を受けたかな」という人たちが、話しやすい環境、つながっていく言説空間を時間をかけて作っていかなければならないと思います。チェルノブイリ後の社会支援については、「社会体制が異なるから日本ではできない」と即反発をよびますが「核災害史上」の対応としておおいに参照されるべきだと思っています。
被曝の問題は、立証不可能だというところが、原子力を推進する側には強みである。原発事故との対応関係が一対一でないのはやっかいなことです。それでも心のどこかにとめておくと同時に、何らかの記録というものを、つけていく必要があるんじゃないかと思っている。
本来は、「被害を受けた側」が立証しなくてはならないということ自体、「理不尽」なことです。それでも今からでも遅くないですけれども、三・一一の前後に何をしていたかとか、どこにいたかとか、関東であれば自宅の周りの土壌だとか、記録をつけていく。それから私は関東で、ガラスバッジを一週間つけるプロジェクトにも参加したことがあります(これは身体の前面のみ計測するのでトータルな被曝量が把握できないという問題もありますが)。そういうものを今からでもやってみるとか。その積み重ねが、将来的には何らかの強みになるのではないかと思っています。
また繰り返しになりますが、癌や、難病の患者さんの取り組みの中で積み重ねられてきたことだと思うんですけれども、経験の共有化だとか、相互扶助だとか、情報の交換だとか、すごく必要だと思います。「被曝が怖い」「被曝は大変だ」というイメージの中に、病気のイメージの具体性のなさというのがあると思います。
事故から五年経って、今は、議論している時期をとっくに過ぎている。どれが正しくて、どれが正しくないかということではなく、具体的に自分の身を守る、自分が病気になったときにどう対処するかということを、少しでも、孤立するのではなく、共有化しなければいけない。具体的な自助組織的なもの、自助組織でありながら、助け合いであって、かつ政治的でもあるというか、そこで完結せずに、社会に開かれているような形をとっていくようなことが必要なのでしょう。

――「『美味しんぼ』問題」や他のことでも、反原発の言説を潰すためのものとして、理学者、物理学者、科学啓蒙家などの、自然科学者の、見えないところでのネットワークのようなものが存在していて、言説を抑圧しているように感じるのですが、どうでしょうか?

松本 「「被曝」潰し」の言説がどこからわいてくるのかということですよね。それは、経済力があるのか、利害関係があるのか、それとも自主的なものなのかということですよね。それについては、不明点が多々あります。調べに調べて、特定すれば、特定できるところはあるかなと思っています。気がかりなのは、三番目の自発的検閲、自発的安全神話への服従というべきものが、力を持ってしまっているというのが、すごく怖いと思います。
「こいつらが組織的にやっているんだ」というのだったら、一個つかまえれば、これがお金の出元で、こうなっているんですよというのは論証可能です。そういうことをやっていらっしゃる方は、原子力広告の部門で、本間龍さんがいらっしゃいますね。また少し別の領域ですが、福島第一原発の津波の「想定外」という言い方が、ばーっと広まったわけですが、この検証に関しては添田孝史さんが原発立地までさかのぼって「想定外」ではなかったことを立証しています。いずれも大変な労力を費やしておられます。また日野行介さんの著作も不可欠ですね。
そうした優れたルポルタージュなども手掛かりに、三・一一のあとの被曝過小評価の言説検証は行われるべきと思っています。もうひとつのやっかいなほう、身の周りの日常生活で、人間関係を分断していくものは自発的な検閲や自発的な服従です。積極的に支配者の言説に加担してしまうのは何でなんだろうかというのは常に留意したいですね。顕在化する被害が空間的、時間的にも広範囲、多岐にわたっていることから「つながること」「連帯すること」がむずかしいというのが、原子力事故被害の特徴なのだと思います。とりわけ新自由主義とネオリベラリズムを経由して自己責任論、自助努力論がすっかり浸透してしまった社会ですから。
またこの事故は、ソーシャルネットワークが発達した中で起こった、初めての事故だったわけです。欧州原子力共同体、ユートラムでは「ソーシャルネットワークが原子力災害にどう機能したか」ということがすでに研究テーマ、分析対象になっています。
私も事故当初最初の二年三年くらいで、積極的に安全神話を信じていく知人、友人に対して「何であいつは寝返りをうつようなことを言うんだ」とか思っていたのですが、あまり思っても消耗するだけなので、今は世論形成に動員されていく対象として眺めてしまうことがあります。あきらかに被害の過小評価の線上にある「「被曝」潰し」の言説に、人々がなぜ主体的に服従してしまうのかということ。もちろんケースは違いますが、過去に、水俣病や原爆の被害でも、いろいろとあったりしたと思います。そういったところと照らし合わせながら、見ていく必要もあると考えています。
事故から六年目を迎えて、これからも顕在化する健康被害も含めて、有形無形の被害、人々のつながりを分断していく力はますます強大になっていくでしょう。二〇一七年の三月には自主避難者への住宅提供がうちきられようとしてる。最近政府が言い出したのは二〇二一年には、なんと帰還困難区域も解除する方針です。オリンピックも含めて、日本政府は全力で、原発事故の収束演出にやっきです。これは個人の記憶という以上に、風化させてはいけない、と言いながら、事故の責任もあいまいに、事故後の対応の責任もあいまいにするという「構造的風化」の社会的演出がますます強まっています。
そんな中で、自分の言葉や思考の組み換えも含めて、具体的な相互扶助の空間作りや、関係性を作り直していくことが、急務な時期かなと思っています。

○証言 松平耕一の大腸がん――被曝被害と癌患者

松本は、チェルノブイリ事故の直前にキエフを訪れていたこともあり、極めて早い段階で、関東圏での被曝被害の問題に注目していた。福島原発事故の被曝被害というものに無関心な周囲に対する、敏感な戸惑いを率直に語っていると思う。
松本の意見でも、「記録をつける」ことが必要かもしれないと語られているが、「福島原発事故による健康被害者の会」では「被害者としての証言」を残すことが大事ではないかという議論が、立ち上げの時点からあった。
松平と「被害者の会」のメンバーは、証言集めのために、仮に次のような質問事項を用意してみた。

「一:お名前、年齢、性別
二:三・一一まで、住まいと仕事場はどこでしたか(都道府県、市区町村までお願いします)。
三:三・一一以降、住まいと仕事場が変わった方は、変更先(同上)とその時期を教えて下さい。
四:今はどういう病状・状態ですか?
五:三・一一前に、その病気は発症していましたか。
発症していた場合、三・一一前と以後でどのようにちがっていましたか。
六:生活習慣はどうでしたか?
七:健康診断は受けていましたか?
八:原発事故による放射能との関連はあると思いますか?
九:病気になって一番辛いことは何ですか?
十:今の希望は何ですか?

「福島原発事故による健康被害者の会」では、自分の健康被害について、皆と共有化したいという方を探しております。」

これに対し、松平自身が、次のような回答例を提示した。私が、被曝被害者としての状況を語りつつ、また一介の病人としての病歴を簡単に自己紹介したものである。
以下は、「被害者の会」会員の一人であるところの、松平による証言(二〇一六年五月八日擱筆)だ。

※※※

――今はどういう病状ですか?

がん患者の松平耕一です。今三八歳です。去年の一一月(二〇一五年)に大腸がんだとわかりました。癌だと分かってからもう少しで半年になります(二〇一六年五月)。見つかった時点で大腸がんのステージ四で、肝臓に転移していました。五年生存率は一八%だということです。癌が広がっている範囲が大きくて、手術ができない状態でした。抗ガン剤で治療していますが、見つかったときから、変化はあまりないようです。抗がん剤は延命に効果があるそうですが、そのうち効かなくなるみたいです。今は、副作用のせいで、いつも具合いが悪く、一日中寝ていることが多いです。腹痛や便秘のせいで入退院を繰り返しています。大腸が機能していないので、人工肛門を造設していて、不便な思いをしています。便の問題だけにですね。

――病気が見つかるまでの体調はどうでしたか?

一一月に、ものすごい腹痛に襲われて、病院に行って癌だとわかりました。発見されるまで、一年かそれ以上の間、下痢があったりとか、具合いの悪いときが多かったです。一日に六回や七回下痢があったりしました。精神性のものかと思っていました。毎朝の出勤に不安がありました。十月、十一月には、トイレの前で立てなくなり、ずっと転がったままでいて、救急車を呼ぼうかというくらいの状態になりました。

――生活習慣はどうでしたか?

生活習慣上の問題としては、吉野家での食事が顕著に多かったです。一日二食吉野家の日もありました。サイゼリヤもよく行ってました。二〇から三七歳までは、外食がとても多かったです。

――住んでいるところと職場はどちらですか?

生まれてからずっと住んでいるところは、おおむね、東京都の府中市です。原発事故の起こった当時は、仕事で、毎日中央区銀座で街頭に立っていました。二〇一一年の三月から二〇一二年の二月までそこにいました。二〇一二年の四から六月は千代田区溜池山王、二〇一二年一一月から二〇一五年一〇月までは、江東区の有明に職場がありました。この辺りの水は飲みたくないなと思いつつ、水道水を飲んでいました。お酒は割とよく飲む方でした。癌が重くなったとき、飲み会の翌日、具合いが悪くて丸一日起き上がれないことがありました。

――健康診断は受けていましたか?

一年に一度の健康診断は受けていました。徐脈があったこと以外はまったく異常はなかったです。二〇一五年では、夏に会社の健康診断をしています。また、十月には、治験、治療薬検査のバイトで、入院しています。その病院の検査では異常は見つかっていませんでした。このときはさすがに癌は、ガッツリあったかと思いますが。また、自転車での転倒とか、胸をぶつけるとか、物理的な原因がきっかけとなり、右胸の下辺りが痛むという症状が昨年の五月と九月にありました。それぞれ二五日間くらいと一四日間くらい、具合いが悪かったです。このときは整形外科にかかったのですが、異常は見つかりませんでした。その時点で精密検査を受けていたら、癌が発見されていたのではと思います。癌による炎症が内臓で起こっていたのだろうと考えています。

――原発事故による放射能との関連はあると思いますか?

私の場合、牛肉や添加物の摂りすぎ、野菜不足の生活、日々の精神的ストレスであるとかは、癌の原因になったと思います。しかし、私の歳で癌になるのは、珍しいと思いますし、原発事故との関連はありうることだと思っています。吉野家やサイゼリヤは食べて応援の企業ですし、事故による放射能が、癌のきっかけを増やしたというのはありうることでしょう。三・一一の起こってすぐの時点で、自分は避難しなければ病気になると思っていましたが、自分はあえて避難しませんでした。被曝の影響のありうる東京で生活していて、命に関わる大病にかかるのは、納得のいくことだと思っています。

――病気になって一番辛いことは何ですか?

異性装、女装が趣味でしたが、ストーマによる制約や、体調の悪さから思うように動けず、できなくなったことが悲しいです。髪の毛が抜けて薄くなりました。それから、結婚や育児に興味がありましたが、ちょっと無理だろうなということも悲しいです。最近は、アニメの『暗殺教室』を見て、恩師を暗殺しなければいけない生徒と、暗殺対象である先生の、宿命の関係性に思いを馳せて、グスグスと泣いたりしています。

――今の希望は何ですか?

東電と日本を破壊することです。今、水俣病の公式確認六〇周年ということが話題になっていて、水俣病の運動は本当に長い戦いだったんだなと思います。しかし、放射性廃棄物が安全になるまでかかる時間が十万年以上ということであるようなら、原発による健康被害者には、「十万年戦争」が必要なのかもしれません。私たちは、放射線という見えない銃により、どこからか撃たれていて、当たったものがバタリバタリと死んで行く。これに抵抗しなければいけない。過去の反原発運動や、チェルノブイリ原発事故の被害者たちの志を受け継ぎつつ、日本や「世界原子力帝国」といったものとの「十万年戦争」をする。この戦争に私は参加し、たとえ敗北したとしても、未来の人に闘争の意志を託すということが、私にとっての希望です。

※※※

以上は松平による証言だ。しかし、私は「福島原発事故による」「真の」「健康被害者」であるのかどうなのか、検討していくべき課題がある。そもそも、日本において歴史的にがん患者の数は原発事故以前から増えている。
二〇一六年七月に、国立がん研究センターは、二〇一六年の間に、新たにがんと診断されるがんの数と、がんで亡くなる人の数の予測を発表した。その数は、罹患数は一〇一万二百人で、死亡数は三七万四千人であるという。ものすごく多くの日本人ががんにかかり、そして亡くなっている。癌の罹患の理由も一様ではないだろう。
そして、ここではエビデンスを示しての論証過程は省くが、ごく少なく見積もられたICRPによる計算のモデルを利用したとしても、福島原発事故による放射能汚染の人的被害で、年に数千人の過剰な癌死が東京圏でも増えると言えるそうだ。このことは確認しておきたい。
一つ指摘したいのは、一〇一万人のがん患者が見つかるとか、放射能の被曝により東京圏で数千人の癌死が増えるというのは、ただの統計による数字に過ぎないということだ。一人一人のがん患者は、それぞれ、別の状況におかれて、病床にて苦痛を受けている。
ところで、私はテレビが嫌いでまったく見ないので知らなかったが、本稿執筆中、鳥越俊太郎という人が東京都知事選挙に出ていると聞いた。その人も、私と同じく大腸がんで、肝臓に転移していて、さらには私も転移していない、肺にも癌があったが、今では元気に都知事選に取り組んでいるから、松平も頑張ってね、という旨の励ましを人様からいただいた。気にかけてもらえて私を前向きにさせるために、声をかけてくれているのは分かる。しかし、誰それの重い大腸癌が治ったからといって、私も同じように治る保証があるわけではない。
癌患者をしばらくやっていると、「癌ハラスメント」みたいなものがあるのかなと感じることがある。「同じ大腸癌で」、「同じステージ四だけど生きている人がいる」と言っても、それぞれの人を待ち受けている運命は、一様のものではありえない。
蛇足に蛇足を重ねるようだが、鳥越は女子大生とのスキャンダルが噂されていて、その件について、私は鳥越はシロだと思う。それもともかく、私は久しぶりにセックスをしたら、脱腸が起こってしまった。腹部に少しでも圧力がかかろうものなら、人工肛門から腸がはみ出してきてしまうのだ。今は、脱肛が癖になり、身を起こしていたり、心理的なストレスがかかったり、食事をした後には、切腹した侍のごとく、ダラリと内臓が吹き出てしまう。ほうっておくとどんどん出てきてしまうので、手で押し込んだり押さえておく必要がある。体内で腸がくっつかずにブランブランの状態になっているためらしい。医者には、抗がん剤がよく効いた結果としての副作用の可能性か、癌が悪くなっている可能性かのどちらかだと聞いた。
こんな状態では、女性と二人で部屋で会うのも怖い。もう死ぬまでこんななのかなと、目の前が真っ暗になり、思考が停止した。何日か前に、親に「孫の顔が見たい」といった趣旨のことを言われたことを、ウンザリと思い返した。脱腸の症状は、横になっていれば治まるのだが、このままでは、ほとんど起き上がることのできない、寝たきりの生活になってしまうのではと危ぶんでいる。同じ大腸癌患者といっても、その闘病生活は人により様々である。
原発を癌にたとえる人がいた。悪性腫瘍は人間の仲間のふりをして、免疫細胞の攻撃を逃れ、健康な器官へと仲間を送り込み、そこを汚染し、身体中の至る所に転移し、次々と腫瘍を増やしていく。そして、身体の主要な器官を一つ一つ破損させていき、やがて死を招く。地球にとって原発とは癌だ。原発推進派は、聞こえのいい言葉で原発の必要性を説き、「明るい未来のエネルギー」を騙り、日本社会に深く根を張った。世界における原発勢力という病巣は、深刻だ。
私は、私自身が、「原発事故による健康被害者」かどうかは分からないが、少なくとも「三・一一被曝被害者」の一人として、次のことだけは語りたい。それは、悲惨な癌死を一人でも増やす原発を「決して許すな」ということだ。
癌は、それぞれの人の、一つ一つの内臓を不可逆的に損傷させていき、痛みおおき死によって、患者を癌死させうる。亡くなるがん患者には、それぞれの人に、それぞれの人の文学的生がある。先行きなき、終わった科学技術である原発政策で、そのような癌死患者を、一人だって増やしてはいけないはずだ。本当に勘弁して欲しい。

9月7日、第3回目イベント「3.11被ばく被害とがん患者」へご参加を

「福島原発事故による健康被害者の会」3回目のイベントを行います。ぜひ多くのご参加をお願いします!
★☆★☆★☆★☆★☆転送、転載、ご協力お願いします★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【イベント】「3.11被ばく被害とがん患者」
日時:9月7日(水)18時半開場、19時~21時半まで
場所:渋谷「光塾」(渋谷区渋谷3-27-15 光和ビルB1 JR渋谷駅新南口から徒歩1分)
地図:http://hikarijuku.com/syokai/post_4.php#map
料金:無料(カンパをお願いします)
お話:藍原寛子さん(医療ジャーナリスト)、「健康被害者の会」の当事者メンバー(予定)
【内容】
日本におけるがん患者数は増加の一途をたどっている。国立がん研究センターは、2016年に新たにがんと診断される患者は101万200人、がんで死亡する人は37万4千人になるとの予測を発表した。思い出してほしい。東日本では、原発事故の放射能によりがんが増えることが予言されていた。あなたのがんは、ひょっとして、311による健康被害ではないのか?極度に少なく見積もられた、ICRPによる集団線量のモデルでも、311放射能汚染の人的被害で、年に2250人の過剰な癌死が東京圏でも生じると言われている。がんという病気の実態にアプローチしつつ、私たちが負わされているかもしれない被ばく被害について話し合う。また、原発事故後の脱被曝や予防医療に対する、患者や医療者や専門家たちの意識を高めるためにはどうしたらいいのか、問題提起をしたい。
【藍原寛子さん紹介】福島民友新聞社で取材記者兼デスクをした後、国会議員公設秘書を経て、フリーランスのジャーナリストとして取材活動をしている。2013年2月28日、「Japan Perspective News株式会社」(本社・福島市)を設立し、国内外のニュース報道、取材、リサーチ、翻訳、編集などを行っている。ブログ:http://ameblo.jp/mydearsupermoon/
主催:福島原発事故による健康被害者の会
協力:脱被ばく実現ネット
「光塾」行き方詳細
・渋谷駅、東急線、東京メトロ(副都心線、半蔵門線)16番出口徒歩5分。16番出口を出たら、明治通りをそのまま恵比寿方面に約200m直進、次の歩道橋のある角を右折。橋を渡り、渋谷三丁目郵便局の隣りのビル(一階はドトール)です。
・JR渋谷駅 新南口徒歩1分
JR渋谷駅からは外に出ず、埼京線への乗り替え連絡通路で新南口に出ると便利です。

メディアに会の紹介やイベントの報告が出ています

5月から複数のメディアに会の紹介やイベントの報告が出ました。感謝します。みなさんぜひご覧ください!

・『情況』2016年4/5月号/『人民新聞』4月15日号、5月5日号/『ビッグイシュー』7月15日号/『救援』2016年7月10日号

『ビッグイシュー』の文を転載します。ジャーナリストの藍原寛子さま、ありがとうございます!

5月には、首都圏も含む患者らが市民団体「福島原発事故による健康被害者の会」を設立、原発事故後に現れた病気や自覚症状に関する情報を収集し始めた。この中では、突然死や心筋梗塞のほか、大腸がんや胆がんなどの様々ながんに加え、大人の甲状腺異常や皮膚病、逆流食道炎、化学物質過敏症など持病の悪化が寄せられている。会員の松平耕一さんと園良太さんは、「福島県内だけでなく、宮城南部の丸森町や北茨城市でも健康影響の訴えがあり、確実に健康被害が拡大・深刻化している。だが検討会も国も隠ぺいと時間稼ぎしかしておらず、広域被害や甲状腺がん以外の病気や世代を超えた健康被害は調べない。こうした問題を私達は告発し続ける」と述べている。」