被ばくによる健康被害の体験談を送って下さい★

 

被ばくによる健康被害の体験談を送って下さい★

福島原発事故による健康被害者の会では、健康被害者の方の体験談を集めております。自分も健康被害者かもしれないという方は、ぜひ証言を当会にお寄せいただけませんか?たとえば、次の項目をコピーし、回答を書いてメールでお教え下さい。送り先はradiationdamage311@gmail.com です。
★匿名を希望の方はその旨お知らせ下さい。個人情報を厳守致します。

1:お名前、年齢、性別
2:3.11まで、住まいと仕事場はどこでしたか(都道府県、市区町村までお願いします)。
3:3.11以降、住まいと仕事場が変わった方は、変更先(同上)とその時期を教えて下さい。
4:今はどういう病状・状態ですか?
5:3.11前に、その病気は発症していましたか。
発症していた場合、3.11前と以後でどのようにちがっていましたか。
6:生活習慣はどうでしたか?
7:健康診断は受けていましたか?
8:原発事故による放射能との関連はあると思いますか?
9:病気になって一番辛いことは何ですか?
10:今の希望は何ですか?

当会では、自分の健康被害について、皆と共有化したいという方を探しております。
以下は、当会会員の一人の松平の証言(2016年5月8日擱筆)です。

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ーー今はどういう病状ですか?

がん患者の松平耕一です。今38歳です。去年の11月(2015年)に大腸がんだとわかりました。癌だと分かってからもう少しで半年になります(2016年5月)。見つかった時点で大腸がんのステージ4で、肝臓に転移していました。5年生存率は18%だということです。癌が広がっている範囲が大きくて、手術ができない状態でした。抗ガン剤で治療していますが、見つかったときから、変化はあまりないようです。抗がん剤は延命に効果があるそうですが、そのうち効かなくなるみたいです。今は、副作用のせいで、いつも具合いが悪く、一日中寝ていることが多いです。腹痛や便秘のせいで入退院を繰り返しています。大腸が機能していないので、人工肛門を造設していて、不便な思いをしています。便の問題だけにですね。

ーー病気が見つかるまでの体調はどうでしたか?

11月に、ものすごい腹痛に襲われて、病院に行って癌だとわかりました。発見されるまで、一年かそれ以上の間、下痢があったりとか、具合いの悪いときが多かったです。一日に6回や7回下痢があったりしました。精神性のものかと思っていました。毎朝の出勤に不安がありました。10月、11月には、トイレの前で立てなくなり、ずっと転がったままでいて、救急車を呼ぼうかというくらいの状態になりました。

ーー生活習慣はどうでしたか?

生活習慣上の問題としては、吉野家での食事が顕著に多かったです。一日2食吉野家の日もありました。サイゼリヤもよく行ってました。20から37歳までは、外食がとても多かったです。

ーー住んでいるところと職場はどちらですか?

この間、住んでいるところは、おおむね、東京都の府中市です。原発事故の起こった当時は、仕事で、毎日銀座で街頭に立っていました。それからあとの職場は、主に江東区の沿岸地域にいて、この辺りの水は飲みたくないなと思いつつ、水道水を飲んでいました。お酒は割とよく飲む方でした。癌が重くなったとき、飲み会の翌日、具合いが悪くて丸一日起き上がれないことがありました。

ーー健康診断は受けていましたか?

一年に一度の健康診断は受けていました。徐脈があったこと以外はまったく異常はなかったです。2015年では、夏に会社の健康診断をしています。また、10月には、治験、治療薬検査のバイトで、入院しています。その病院の検査では異常は見つかっていませんでした。このときはさすがに癌は、ガッツリあったかと思いますが。また、自転車での転倒とか、胸をぶつけるとか、物理的な原因がきっかけとなり、右胸の下辺りが痛むという症状が昨年の5月と9月にありました。それぞれ25日間くらいと14日間くらい、具合いが悪かったです。このときは整形外科にかかったのですが、異常は見つかりませんでした。その時点で精密検査を受けていたら、癌が発見されていたのではと思います。癌による炎症が内臓で起こっていたのだろうと考えています。

ーー原発事故による放射能との関連はあると思いますか?

私の場合、牛肉や添加物の摂りすぎ、野菜不足の生活、日々の精神的ストレスであるとかは、癌の原因になったと思います。しかし、私の歳で癌になるのは、珍しいと思いますし、原発事故との関連はありうることだと思っています。吉野家やサイゼリヤは食べて応援の企業ですし、事故による放射能が、癌のきっかけを増やしたというのはありうることでしょう。3・11の起こってすぐの時点で、自分は避難しなければ病気になると思っていましたが、自分はあえて避難しませんでした。被曝の影響のありうる東京で生活していて、命に関わる大病にかかるのは、納得のいくことだと思っています。

ーー病気になって一番辛いことは何ですか?

異性装、女装が趣味でしたが、ストーマによる制約や、体調の悪さから思うように動けず、できなくなったことが悲しいです。髪の毛が抜けて薄くなりました。それから、結婚や育児に興味がありましたが、ちょっと無理だろうなということも悲しいです。最近は、アニメの『暗殺教室』を見て、恩師を暗殺しなければいけない生徒と、暗殺対象である先生の、宿命の関係性に思いを馳せて、グスグスと泣いたりしています。

ーー今の希望は何ですか?

東電と日本を破壊することです。今、水俣病の公式確認60周年ということが話題になっていて、水俣病の運動は本当に長い戦いだったんだなと思います。しかし、放射性廃棄物が安全になるまでかかる時間が10万年以上ということであるようなら、原発による健康被害者には、「10万年戦争」が必要なのかもしれません。私たちは、放射線という見えない銃により、どこからか撃たれていて、当たったものがバタリバタリと死んで行く。これに抵抗しなければいけない。過去の反原発運動や、チェルノブイリ原発事故の被害者たちの志を受け継ぎつつ、日本や「世界原子力帝国」といったものとの「10万年戦争」をする。この戦争に私は参加し、たとえ敗北したとしても、未来の人に闘争の意志を託すということが、私にとっての希望です。

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被ばくによる健康被害の体験談を送って下さい★」への1件のフィードバック

  1. taiyo

    下記の事実をご存知ですか。

    1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の後、避難地域(ブジシチェ村)に居住しているにもかかわらず、被曝症にかからない住民がいました。
    調査を政府から依頼された研究チームが調査した結果、地下からの湧き水が普通の水とは異なる分子構造になっていることを発見しました。
    その水は、ブジシチェ村のいのちの水といわれました。

    数年に渡る研究開発の結果ロシアの科学者イゴール・スミルノフ博士は調査チームの一員として携わりました。そして、その水は水分子の結合角度が通常の104.5度から108度に広がっていることを発見しました。
    その後10年に渡る研究開発の結果、スミルノフ博士は水分子の結合角度を通常の104.5度から108度に変えるMRET技術を開発し、2002年にアメリカで特許を取得しました。

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